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ジョン万次郎ってどんな人?彼から学べる教訓【運命を受け入れチャンスに変える】


Hatena

ども!

歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

歴史は繰り返すと言われます。

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。

41人目は江戸末期から明治偉大に活躍した「ジョン万次郎」です!

アメリカの造船技術や航海術を日本に持ち帰り、開国しようとしていた日本に大きく貢献した人物です。

アメリカ本土に渡ったキッカケも激動でした。

 

そんなジョン万次郎から学べる教訓を書いていきます!

 

ジョン万次郎って何をした人?

ジョン万次郎から学べる教訓は?

 

これらのことをざっくりと5分でわかるように解説していきます^^♪

 

 

 

(約5分で読めます) 

 

ジョン万次郎ってどんな人?

ジョン万次郎

ジョン万次郎は江戸末期から明治まで生きた人で、アメリカと日本で活躍し、アメリカで学んだ英語、数学、航海術などを日本で教えていました。

 

一度聞いたら忘れないような名前ですよね。笑

 

 

 

彼の人生は壮絶。

 

 

 

それではざっくりどんな人か解説していきます!

 

 

遭難からのアメリカ船へ乗船

 

生まれは現在の高知県である土佐藩。

貧しい漁師の家庭に生まれました。

父親を9歳の頃に亡くし、母親が女手ひとつで育ててくれたのですが、非常に貧しさを極めたそうです。

 

そして、14歳の頃、仲間と漁に出かけて遭難してしまいます

 

 

5人の船だったそうで、その船がたどり着いたのは、現在の伊豆諸島の無人島である「鳥島」という島です。

 

 

 

 

小笠原諸島よりもさらに南で青ヶ島の下らへんです。高知からここまでたどり着くなんてすごい、、、

 

そして、この島にいることなんと143日!

その間、アホウドリを食べたり、自分たちの尿を飲んだりして飢えをしのいでいたようです。

 

 

彼らの命を救ったのはアメリカの捕鯨船ジョン・ホーランド号という船でした。

そこに乗っていた船長のホイット・フィールドという方が、とても親切で、ジョン万次郎ら5人の漁師をハワイまで乗せて行ってくれたそうです。

 

当時は「鎖国だー!」とか言っている時代。

殺されてもおかしくないのかな?とも思いましたが、とても優しい方に助けられたんですね。

(まぁ、「外国打ち払えー!」と躍起になっていたのは日本側だけですが)

 

そして、とりあえずハワイに行き、そこから帰国させようとしたところ、なんとジョン万次郎は「アメリカに連れてってください!!」と直談判します。

 

14歳の彼は何を思ったんでしょう。

ホイット・フィールド船長に世界地図を見せられたとも言われています。

「うわー日本ってちいせぇなー 鎖国なんてしてたら潰されちまうよ!」

とでも、考えたんではないかなと僕は推測してます。

 

 

吉田松陰をはじめ、幕末の志士たちのなかには、同じようにアメリカ船に乗せてくれと直談判した人が何人かいますね。

 

鎖国してても未来はないと思ったんでしょう。

 

 

 

日本と海外の橋渡しとして活躍

 

そして、アメリカに渡ることを許可してもらったジョン万次郎は、その時に、「お前は、ジョン・ホーランド号にちなんで、ジョン・マンと名付ける!」と言われて、この名前になったのです。笑

 

船長は手厚くもてなしてくれ、なんと学校にまで通わせてくれたそうです。

そこで、英語から数学、航海術などを学び、メキメキ頭角を現してきました。

めちゃくちゃ優秀だったそうですね。

 

そして、「帰国するときの資金は自分で稼ごう!」と、当時ゴールドラッシュに沸くアメリカ本土で金を発掘して資金を作ります。

 

 

ゴールドラッシュとは?

1848年頃、アメリカで金が発掘された鉱脈に発掘者が殺到した出来事。

 

 

そして、10年ほど学び、日本に帰国します。

帰国も簡単ではありませんでした。

当時、藩を抜けて移動するのにも許可が必要で無許可で藩を移動したら脱藩者としてボロカスにされていた時代。

 

死も覚悟した帰国だったでしょう。

帰国後は、やはりしばらく牢屋に入れられ、キリスト教に染まってないか踏み絵もさせられます。

 

ただ、英語もできる、造船技術もある、航海術もできるジョン万次郎はめちゃくちゃ貴重な人材なため、優遇されます。

 

当時、黒船も来ていた時代なので「鎖国はもう無理だろ」と思ってる藩主もたくさんいました。薩摩藩の島津斉彬もそのひとりで、ジョン万次郎から教えを請いたといいます。

 

土佐に帰ったジョン万次郎は、自分の持っている知識を存分に教えていきました。

また、身分も高くなり、貧しかった幼少期とは比べ物にならないくらい立派になったのです。

 

日本が開国への準備をしていたのも相まって非常に重宝されます。

アメリカの技術や学問、ノウハウを日本に伝えたのはジョン万次郎が主軸となっていました。

彼がいなかったら、日本の開国の準備は遅れていたかもしれませんね。

 

 

そんな彼ですが、表立って活躍することもなく土佐で家族と平凡に暮らしていました。

隠居生活のなか、71歳で病気で亡くなり生涯を終えました。

 

日本の発展に貢献しましたが、明治維新の英雄たちのように注目されることもなく亡くなりました。まさに縁の下の力持ち。

 

僕はそんなジョン万次郎が大好きです。

 

 

 

運命を受け入れること

 

お金を受け取って喜ぶ男性

ジョン万次郎の人生の転換期はまさに、アメリカ船に乗せてもらい本土に渡ったことでしょう。

 

助けられてそのまま帰国していたらまた貧しい生活に逆戻り。

彼の行動が人生を変えました。

 

遭難して、アメリカの船が助けに来るなんて偶然かもしれません。

しかし、その偶然をもチャンスに捉えたジョン万次郎の行動があったからこそ、人生を変えることが出来たんです。

 

一緒に航海した仲間の他4人は帰国しましたが、ジョン万次郎だけアメリカ本土に行きたいと直談判しました。

 

こうした逆境でもチャンスを掴む彼の行動から、運命を受け入れチャンスをモノにする大切さが学べます。

 

 

ジョン万次郎から学べる教訓

勉強している男の子


 

ジョン万次郎から学べる教訓は「運命を受け入れチャンスに変えること」です。

 

143日の漂流で、自分の尿を飲んで乗り切り、生死をさまよっている中で、アメリカ船に助けられたら普通ならすぐ帰りたいって思いますよね。笑

 

そこでも貪欲に学びたいと思い、アメリカ本土に渡りました。

 

本当に脱帽ですね!!

 

自分に起こったことは、悲劇だと自分が感じたら悲劇になります。

チャンスだと思えばチャンスにできます。

 

物事はいつでもニュートラルなもの。

そこにどんな意味づけをするかは自分次第です。

 

逆境をチャンスと捉え運命を受け入れたジョン万次郎だからこそ、成功したんでしょう。

 

彼の人生を調べているととても刺激を受けました!!僕もどんなに不運なことがあっても諦めずにチャンスに変えることができる人になりたいと思います!

 

ジョン・マンありがとう!!笑

 

ジョン万次郎はアメリカでも高く評価されています。

アメリカで話題になった本が文庫化されたものが2018年に出版されています!

 

興味のある方はぜひ!!(^^♪ 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

ではまた。

ざす。