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坂上田村麻呂から学べる教訓 何した人か5分で解説【人を許すということ】


Hatena

ども!

歴史好きなライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

歴史は繰り返すと言われます。

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。

40人目は奈良時代から平安時代に活躍した「坂上田村麻呂」です!

征夷大将軍として活躍し、武力にも長けていた人物。

東北の制圧に尽力し、敵であった東北の勇者『阿弖流為』とのストーリーも感動的です!!

 

そんな征夷大将軍の生涯と彼から学べる教訓を書いていきます!

 

坂上田村麻呂って何をした人?

坂上田村麻呂から学べる教訓は?

 

これらのことをざっくりと5分でわかるように解説していきます^^♪

 

 

 

(約5分で読めます) 

 

 

坂上田村麻呂ってどんな人?

 

坂上田村麻呂

坂上田村麻呂(画像はhttp://www.kiyomizudera.or.jp/history.php参照)

坂上田村麻呂って名前は歴史好きでなくても一度は聞いたことあるでしょう。

 

奈良時代に、征夷大将軍として、当時蝦夷と呼ばれていた東北地方を制圧した武将です。

 

彼の生涯をざっくりとご紹介します!

 

 

征夷大将軍になるまで

奈良時代の780年に坂上苅田麻呂の子どもとして生まれました。

 

坂上が苗字で、田村麻呂が名前です。

父親同様、下の名前が長いですね。笑

 

家系は、部族の一家で父親は公卿という役職でした。公卿とは、当時の朝廷に仕える貴族のこと。エリート一家だったんですね。

そんな家系だったので、坂上田村麻呂自身も、宮廷に仕えており、武力にも長けた人物だったようです。

 

 

当時、朝廷は、蝦夷と呼ばれる東北地方、北海道地方の制圧に手を焼いていました。 

仙台にある「多賀城」という城を拠点に攻め入っていたのです。(多賀城は今でも地名になって残っています。)

 

 

789年には、紀古佐美(きのこさみ)という公卿の人がリーダーとなって蝦夷制圧を試みましたが、蝦夷のリーダーである「阿弖流為(アテルイ)」という人物にボロボロに負けてしまいます。

 

阿弖流為の銅像

東北の豪族で最強の勇者『阿弖流為』(それにしても怖い・・・)

 

この阿弖流為という人物はめちゃくちゃ強かったそうで、今でも東北では有名なヒーローです。

 

その阿弖流為と、坂上田村麻呂は戦うことになります。

 

 

 

 

征夷大将軍となり、東北制圧

 

紀古佐美が負けたことで、「こりゃいかん!」と朝廷からは、坂上田村麻呂に白羽の矢が立ちます。

 

平安時代になったばかりの797年には坂上田村麻呂は「征夷大将軍」に任命され、阿弖流為を倒すために関西から東北まで遠征をします。

 

征夷大将軍とは、蝦夷を討伐するための最高司令官のようなもの。実質、戦でのトップとなります。

 

 

阿弖流為と坂上田村麻呂は非常にいい勝負だったようですが、坂上田村麻呂の攻めによって、拠点となる胆沢城(岩手県)が建てられたり、阿弖流為にとってかなり不利な状況になりました。

 

そこで、東北の皆が痛めつけられるのが我慢できず、阿弖流為は坂上田村麻呂に降伏します。

 

 

このとき、彼ら2人にどういう会話がなされたかは定かではありませんが、坂上田村麻呂は捕虜として捕らえた阿弖流為を「助けてあげてほしい」と朝廷に懇願したそうです。

 

結局、朝廷には受け入れられずに阿弖流為は処刑されてしまいますが。

 

 

その後、坂上田村麻呂は、京都にある清水寺の本堂を大規模に改修したことでも知られています。

阿弖流為の記念碑も清水寺にあるんです。

 

 

 

死後も軍神と崇められた

 

坂上田村麻呂の武勇は代々受け継がれ、「坂上田村麻呂伝説」という物語まで作られました。

 

811年に54歳で亡くなったときも、「これからも平安京を守ってほしい」と嵯峨天皇は坂上田村麻呂の死体に甲冑を着せて、守護神として立ったまま葬らせたと言われています。

 

すごすぎ!!

 

軍神とも崇められ、坂上田村麻呂はスーパーヒーローだったのです。

 

 

 

 

人を許すということ

花を持つ女性


 

僕は坂上田村麻呂が、「阿弖流為を生かしてやってほしい」と嘆願した話がとても好きです。

 

当時、坂上田村麻呂と阿弖流為の間で、どんなやり取りがされたかはわからないですが、友情に近いものがあったんじゃないかなと妄想しております。

 

東北の民のために降伏した阿弖流為。

その姿勢に感動した坂上田村麻呂は、阿弖流為を許そうとしたんでないでしょうか。

 

「人を許す」という姿勢に学ぶことがあります。

 

人を許すのは自分のためになるのです。

人を許さずに復讐したところで、気持ちは和らぐかもしれませんが、根本的な事実が変わるわけでもなくネガティブな感情が残りますね。

 

 

キリスト教の聖書でも人を赦すことについて説かれています。

 

傷つけられた人を許すことって非常に難しいですが、別に相手と仲良くしなくたっていいんです。許す=自分のネガティブな感情に対処するということ。

 

 

許すことは自分のため。

 

坂上田村麻呂も、阿弖流為を処刑したところで何も得るものはないとわかってたんじゃないでしょうか。それよりも、東北の民を思って戦っていた者を味方につけたほうがいいと考えていたんではないかと僕は考えます。

 

 

 

坂上田村麻呂から学べる教訓

本

 

坂上田村麻呂から学べる教訓は「人を許すということは自分を大切にするということ」です。

 

 

坂上田村麻呂は強いだけではなく、人を許せる広い心を持った本物のヒーローだなぁと感じました。

 

人を許すことが自分のためにつながっているということを理解して、僕もイラっときても人を許すことを意識しようと思いました。

 

 

 坂上田村麻呂と阿弖流為の戦いについて以下の本でもっと詳しく知れます(^^♪

2人の巨星の物語です。

興味ある方はぜひ。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

ではまた。

ざす。