ド底辺サラリーマンの夢の叶え方

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木戸孝允から学べる教訓 何した人か5分で解説【短所を補うときに大切なこと】


Hatena

ども!

ライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

 

歴史は繰り返すと言われます。

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。

38人目は『維新三傑』とも言われ、明治維新の立役者である「木戸孝允」です!

 

同じ維新三傑である大久保利通とも仲が良く、西南戦争時には西郷隆盛と大久保利通率いる新政府軍の間に入り仲介しようとした姿まで見られました。

 

そんな情に厚く、明治維新を推し進めた木戸孝允の生涯と彼から学べる教訓を書いていきます!

 

木戸孝允って何をした人?

木戸孝允から学べる教訓は?

 

これらのことをざっくりと5分でわかるように解説していきます^^♪

 

 

 

(約5分で読めます) 

 

 

 

木戸孝允ってどんな人?

木戸孝允


 

幼少期は病弱でいたずら好き

1833年に今の山口県である長州藩に生まれました。

 

医者の家に生まれましたが、7歳頃に武家の桂家に養子にいきます。

木戸孝允の昔の名は「桂小五郎」ですよね。

 

彼は幼少期は病弱だったようですが、10代の頃から「松下村塾」で有名な吉田松陰先生に勉学を学んだり、江戸に行き剣術を習ったりして才能を発揮して行きました。

 

そして、小さい頃は川にもぐって、行き来する船をひっくり返しては大爆笑するという、とてもクレイジーな遊びをして楽しんでいたそうです。笑

 

病弱な体ではありましたが、やんちゃで好奇心のある子供だったんでしょう。

 

吉田松陰、木戸孝允、高杉晋作など、長州藩英雄揃いですね!

 

 

長州藩を尊王攘夷の考え方に

 

1853年、江戸に剣術の修行に来ていた矢先、黒船来航の事件が起きます。

ペリーが浦賀沖に来た事件です。

 

 

この事件は歴史上の人々に大きく影響を与えました。木戸孝允もそのひとりで、尊王攘夷の考え方を持つようになります。

 

尊王攘夷とは?

海外に攻められないように、天皇を敬い外国を打ち払え!という考え方のこと

 

 

 

初めて黒船が来た時は、実際に見たわけではないようですが、2回目に来航した時は「見に行かせてくれ!!」と懇願したそうです。

そして、実際に黒船をみた木戸孝允は、「このままじゃやべぇ!日本やられちまうよ!」と感じて、海外から学ぼうと留学なども申し出たそうです。

 

同じ長州藩の吉田松陰も「黒船に乗せてくれ!」と海外船に直談判したそうですが、名を残す人の行動力はハンパないですね。

 

こんな行動力からも長州藩の中枢人物になり、藩主にも注目されて行きました。

そんな長州藩の尊王攘夷の考え方も木戸孝允や吉田松陰が先陣を切っていたんですね。

 

ただ、木戸孝允は、やみくもに外国を打ち払おうとしたのではなく、「海外から学ぶ」ことを大事にしていたそうです。

 

 

親友を案じて亡くなった最期

 

僕は、偉人の最期の中で一番木戸孝允の死に際に感動しました。

 

「韓国を征服しよう!」という征韓論を唱えた西郷隆盛は、反対する政府から抜けて地元の薩摩藩に戻ります。

 

そして薩摩藩の西郷隆盛の弟子たちが政府軍の挑発に乗ってしまい宣戦布告してしまいます。西郷隆盛は「もうやるしかないか」と政府軍と戦うことを決意。西南戦争に突入します。

 

 

かつての同郷の親友、大久保利通率いる新政府軍と西郷隆盛率いる薩摩藩が戦うことになります。西郷隆盛としても望んだ戦ではありませんでした。それで親友と戦うことになるなんて、なんて切ないんでしょう....

 

 

そこで木戸孝允は、西郷隆盛を止めようと間に入ります。

 

ストレスで体が衰弱し切ってたそうですが、戦争に参加します。

木戸孝允は、大久保利通の手を握りながら、西郷隆盛に向かって「西郷よ、たいていにせぬか!!」と叫んでそのまま倒れて亡くなったと言われています。

 

情に厚い木戸孝允は、自分の体が弱り切ってることを知りながらも、西郷隆盛と大久保利通が争うことを止めようとしたのでしょう。

 

45歳という生涯でした。

 

 

短所を補うときに大切なこと

のんびり

 

木戸孝允の名言に以下のような言葉があります。

 

 

 人の巧を取って我が拙を捨て、人の長を取って我が短を補う。

 

人から学んでその優れたところを取り入れて、自分の至らないところを補うという意味です。

 

 

短所を補うときには、相手の良いところを学んで取り入れることがとても大切だとわかります。

 

木戸孝允は、黒船が来たとき、ハナから「外国を打ち払えー!」と言っていたわけではなく外国からも何か学ぼうとしていました。

 

留学したいと言っていたことからもそれがわかりますよね。

 

 

変なプライドは捨てて、他者から学ぶ姿勢が成長には大切なのです。

 

 

 

木戸孝允から学べる教訓

学ぶ


 

木戸孝允から学べる教訓は「短所を補うときは他者から学べ」ということです。

 

成長に一番邪魔するのはプライドだと思います。

 

「ライバルから学ぶのは悔しいから嫌だ」

「自分の力でなんとかしてこそ意義がある!」

 

そんなプライドが邪魔をすると成長を妨げます。

 

 

他者から学ぶ木戸孝允の柔軟な姿勢を取り入れて、自己成長に繋げていきましょう!!

 

木戸孝允のことをもっと知りたい人はマンガで読める下記の本がオススメです(^^♪

 

 

歴史が好きですが、中でも幕末が一番好きかもしれないなーー('Д')

最後までお読みいただきありがとうございました!

ではまた。

ざす。