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津田梅子から学べる教訓 何した人か5分で解説【人と違うことを恐れなくていい】


Hatena

ども!

ライフコーチ 兼 ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

歴史は繰り返すと言われます。

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。

34人目は明治時代に「女性教育の立役者」として活躍した「津田梅子」です!

 

2024年には、新しいお札にデザインが一新されますが、5,000円札が津田梅子さんですね。

 

津田梅子って何をした人?

津田梅子から学べる教訓は?

 

これらのことをわかりやすく簡単な表現で書きました(^^♪

 

 

 

(約5分で読めます) 

 

津田梅子って何した人?

津田梅子


 

津田梅子は、1864年の江戸末期に、現在の東京都新宿に生まれました。

 

 

津田梅子は平等な女子教育を目的とした「女子英学塾(現:津田塾大学)」の創設者でもあり、女性教育の先駆者として知られています。

 

彼女がどんな人だったのかざっくり紹介します!

 

 

6歳で岩倉具視使節団で渡米

 

津田梅子はなんとわずか6歳でアメリカに留学します。

 

女性教育に熱心だった政治家の黒田清隆が企画した女子留学生に津田梅子の父親が応募し、みごと選ばれたのです。

 

そして岩倉具視使節団と一緒にアメリカ留学を果たします。

 

✔岩倉具視使節団とは?

岩倉具視をリーダーに、大久保利通や伊藤博文などが不平等条約の改正と海外の視察のために、アメリカに渡った調査団体です。

総勢100名強いて、その中の留学生5人のうち1人が津田梅子だったのです。

 

6歳から11歳までの月日をアメリカで過ごし、英語はもちろん、ラテン語、フランス語も学び、芸術、科学、心理学も勉強していました。

 

 

教育者・津田梅子の土台はここで作られたんですね。

しかし、日本に帰ってきた津田梅子は衝撃を受けることになります。

 

 

男尊女卑の文化に反対

当時の日本と言えば、女性はまだまだ「家庭で主人を支える」というのが一般論で、政治に参加する権利もない時代でした。

 

しかし、思春期をアメリカで過ごした津田梅子は、この男尊女卑の文化にショックを受けます。

 

「アメリカでは誰でも自由に学べていたのに、教育でも政治でも女性が活躍できないなんておかしい!!」

 

しかも当時の津田梅子は、日本人なのに通訳者がいないと日本の人と会話できないくらい英語と英文化になじんでいたようです。

 

なおさら日本の文化には違和感を覚えたんでしょう。。

 

でもこの留学がなければ、女性が活躍できる社会になるのはもっと遅くなっていたかもしれません。この文化の違いに対する違和感が原動力となり、津田梅子が女子英学塾を設立したからです。

 

 

 

女子英学塾(現津田塾大学)の設立

帰国した津田梅子は岩倉具視使節団で一緒だった伊藤博文に英語通訳の仕事を紹介してもらい、活動していました。

 

そして、25歳のとき、2度目に渡るアメリカ留学をします。そこでも研究をしたあと、帰国し教師として働きます。

 

そして1900年、津田梅子36歳のときに「女子英学塾」を設立。

東京都に認可をもらい、無事開校し塾長になります。

 

女子英学塾では、身分に関係なく平等な教育を目的として、礼儀作法なども教えていました。ちなみに、めちゃくちゃ厳しかったみたいで脱落者も多かったようです。

 

津田梅子の女子教育への熱意は以下のような言葉からも伺えます。

 

「この学校は女子に専門教育を与える最初の学校です。いろんな人から批判を受けるかもしれません。でも、その批判で女子教育の進歩が妨げられるのならまことに遺憾です」

 

 

女子教育に人生をささげた人なんですね。

 

しかし、津田梅子は晩年は体調を崩し、脳出血で亡くなりました。享年64歳でした。

 

 

 

 

人と違うことを恐れなくていい

恐れる


津田梅子は今まで浸透していなかった「女子教育」のために尽力します。

 

今では想像もつかないかもしれませんが、女性が前線で活躍することは、当時の日本ではあり得ないことでした。そうしたことに全力を尽くしたのです。

 

とても労力のいることだったでしょう。実際に女子英学塾を設立した頃から体調も優れなくなってきていたようです。

 

それでも自分の信念のために活動していました。

津田梅子の姿勢からは、人と違うことをすることに恐れなくていいということが学べます。

 

反対されるようなことでも、やり抜けば未来に繋がります。

津田梅子の活動で、女子教育が前進したのは間違いありません。

その功績も称えられ、2024年にお札の顔になるのです。

 

 

また、津田梅子は生涯独身を貫いたようです。

いろいろ縁談を持ちかけられるようですが、亭主関白で男尊女卑の強く残る日本の結婚生活に魅力を感じず「もうくだらない!結婚の話は今後しないでください!」と周りに言っていたそうです。

 

こうした行動からも、人と違うことを恐れる必要はないと学ぶことができます。

結婚するということは、当時は当たり前であった。女性が家に入るのも当たり前であった。でも、「自分はしたくない」と思ったらそれを貫いたのが津田梅子。


 

 

他の多くの人がしていても、自分が違和感を感じるようなことなら、それはやらなくたっていいのです。

 

 

 

津田梅子から学べる教訓

学び

 

津田梅子から学べる教訓は「人と違うことを恐れなくていい」です。

 

異文化に触れた津田梅子だったからこそ、自国の文化を当たり前と思わず、自分が正しいと思ったことを貫くことができたんでしょう。

 

こうした意味でも視野や考え方を広げるために、海外や異文化に触れるのは大事だなとも思いますね!

 

津田梅子からは、他の人と違ったって自分の信念を信じて行動する勇気がもらえました!

 

津田梅子まとめ

✔6歳で岩倉具視使節団に随行して渡米。留学して勉強に励む。2度留学。

✔教師として活躍。

✔男尊女卑の日本の文化に反発。

✔女子英学塾(現津田塾大学)を創設。

✔女子教育の先駆者。

 

 

 

 

 津田梅子の偉業をもっと知りたい人はコチラの本もあります(^^♪

 

まんがでわかりやすく学べます(^^♪

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました。

ではまた。

ざす。