ども!
ライフコーチ兼ド底辺サラリーマンのけんいちです!
歴史は繰り返すと言われます。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。
今回は江戸時代末期の武士であり教育者でもある「吉田松陰」です!
「明治維新の立役者を次々に輩出した松下村塾」
そんな塾の塾長でもあった吉田松陰とはどんな人物だったのでしょうか?!
そんな彼からは「行動力のある人の特徴」を学ぶことができます(^^♪
歴史を楽しく学べて現代に活かせることを、わかりやすく簡単な表現で書きました(^^♪
(約4分で読めます)
吉田松陰とはどんな人?
吉田松陰は、江戸時代末期に現在の山口県に生まれます。
有名な松下村塾の塾長でもあった吉田松陰は、のちの総理大臣でもある伊藤博文や山県有朋、奇兵隊を作った高杉晋作など多くの実力者たちをこの塾から輩出します。
「松陰先生」とも呼ばれ、松陰神社という神社も山口県萩市にあり、まさに『神』としてもあがめられている人です。
びっくりしたんですが、吉田松陰はわずか30歳で亡くなっています。
松下村塾での活動、攘夷運動(倒幕運動)など、かなりのインパクトを与えた人物だったので、もっと長く生きている人なのかと思っていました。
そんな短い生涯でしたが、後世に名を残してきた業績と吉田松陰から学べる教訓を書いていきます。
わずか10歳で教授?!神童たる理由
吉田松陰は、塾の塾長なだけあり、幼い頃から優秀でした。
今の山口県萩市に生まれました。
父は、長州藩士の杉百合之助という人物ですが、子供ができなかった叔父の吉田大助という人物に養子に入りました。
しかし、5歳の頃、その、吉田大助が亡くなったためわずか5歳で一家の家主となったのです。
吉田大助の弟の玉木文之進(たまきぶんのしん)という人物が、「一家の跡を継ぐためには、いっぱしに育てなきゃいけん!!」と超スパルタ教育が始まるのです。
その教育のかいあってか、優秀に育ちました。
わずか9歳で「明倫館」という学校にまさかの教える側として入学するのでした。
この明倫館は、長州藩の学校でしたが、日本三大学府と呼ばれる名門。
たまーにニュースで「ハーバード大学に飛び級で入学した13歳の神童現る!」みたいな天才がいますが、吉田松陰は教える側なのでさらにそれよりスゴいヤツみたいな感じですね。笑
しかも、9歳で入学した翌年、本当に教授になったのです。
スーパーエリートとなる吉田松陰は、勉学に励みつつも「もっと広い世界を見てみたい」と思うようになります。
黒船来航に遭遇!「アメリカ船に乗せていけ」と直談判?!
当時、外国船が往来するようになってきました。
幕府も、「開国しなきゃ日本が侵略されてしまう」と思っていましたが、「外国船なんか打ち払え!」という攘夷派も出てきます。
吉田松陰は、過激な攘夷派だったのです。
性格も破天荒で、藩のルールを破り、脱藩していました。
浪人という立場で江戸に遊学していた吉田松陰は、黒船来航に出会います。
そして、「外国船を打ち払え!」と幕府批判しつつも、「海外に出て学ばないと日本は置いていかれる!」という危機感も感じていて、ポータハン号という船に小舟で近づき「乗せてってくれ」と直談判したそうです。
行動力がすごいですよね。
もしかしたら、その場で殺されてしまう可能性だってあったと思います。
この直談判は残念ながら断られてしまいますが、吉田松陰の「日本を変えたい」という想いが強いのが感じ取れますね。
獄中での学びと松下村塾
吉田松陰は、幕府批判などで捕まってしまいます。
獄中生活が始まるのですが、この獄中生活があったからこそ、松下村塾の松陰先生が誕生するのです。
獄中では、本を読んで勉強していました。
その中で、「孟子」の講義を獄内でしていたそうですが、それにより獄内の風紀が良くなったそうです。
孟子は中国の儒学者で主に性善説、道徳を説いている学問だったので、獄中の悪い連中の心も掴んだのかもしれません。
この功績が功を奏し、長州藩は吉田松陰を「実家療養」を名目に家に帰すことにしたのです。
そこで、「孟子」の講義をやっていたことを聞きつけた家族が、『松下村塾』で講義をやってみようと声をかけたことがキッカケで、松陰先生が誕生しました。
松下村塾は、吉田松陰が作ったものではなく、スパルタ教育を施した玉木文之進が作ったものです。
その後を継いだのが吉田松陰、そのとき弱冠26歳でした。
当時通っていたのが伊藤博文、山縣有朋、高杉晋作、久坂玄瑞などのちに名を残す人ばかり。
どんな授業していたのか気になりますよね!
一方的に吉田松陰が教えるのではなく、みんなで論議したりする場だったようです。
吉田松陰は、明治維新に貢献する人たち育てて輩出していった教育者としても力を発揮したのです。
行動力がある人の特徴
吉田松陰は、その過激さから、幕府に何度もたてつきます。
当時の老中を暗殺しようとする計画も立てていました。
あまりにも暴走していた吉田松陰に、弟子たちも嫌気がさしてしまい、付いていく者もほとんどおらず、最終的には幕府により処刑させられてしまいます。
享年30歳でした。
破天荒で過激なことからテロリストだとも言われていますが、行為の良し悪しは置いといて、その行動力には感服しますよね。
なぜここまで行動力があるのか?
それは、信念の強さだと思います。
「幕府に任せてたらもうだめだ」
「自分が何とかしてやる」
という強い信念から吉田松陰は動いていました。
このように行動力のある人の特徴としては「自分の行いで必ず良くしてやるんだ!ビジョンを実現してやるんだ!」という曲がらない信念があります。
吉田松陰から学べる教訓
吉田松陰から学べる教訓は「行動力のある人には、強い信念がある」ということです。
行動するときに一歩踏み出せない人は、勇気がないからではないと思うんです。
「絶対やり抜くんだ」という信念が必要ではないでしょうか。
自分の手で変えてやるという強い信念があれば、行動に迷いなく、後先考えずに動けるものです。
結果はどうなっても自分がやりたかったら後悔はしませんよね。
信念が弱いと「周りが反対してるから」とか「失敗したら損の方が大きいから」とか理由をつけて行動できなくなるでしょう。
行動力のある人の特徴が、吉田松陰の生き様から分かります。
僕もビジョンを実現するため、ブレない信念を持ち続けて活動していきたいと思います!
最後までお読みいただきありがとうございました。
ではまた。
ざす。