ども!
ド底辺サラリーマンのけんいちです!
歴史は繰り返すと言われます。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!
日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。
今回は江戸時代の学者であり、徳川将軍にも仕えていた「新井白石」です!
「下級武士の生まれながらも、徳川将軍に仕えた」
という大出世をした新井白石とはどんな人物だったのでしょうか?!
そんな新井白石からは「勉強において大切なこと」を学ぶことができます(^^♪
歴史を楽しく学べて現代に活かせることを、わかりやすく簡単な表現で書きました(^^♪
(約4分で読めます)
新井白石ってどんな人?
めちゃ勉強できる子だった?!
朱子学、歴史学、政治、地理学、文学など新井白石の得意な分野は多岐にわたります。
3歳の頃から父親の儒教の本をそっくり書き写していたと言われています。
「ほんとかよ~」と思いますが、勉強はできていたのでしょう。
また、明暦の大火という江戸時代最大の大火事の翌日に生まれたことと、やんちゃで気性が激しかったこともあり「火の子」というあだ名がつけられていました。
下級武士の身分で父親とともに土屋家というところに仕えていました。
しかし、この跡取りになった当主が精神的におかしくなってくると、父親は出仕をやめて、どこにも属さない浪人となってしまいます。
そこで追い出されクビになった新井親子は路頭に迷います。
しかし当時、勉強家ですでに才能を発揮していた白石は、いろんなところから「うちの嫁の婿に来ないか?」「知人の娘と結婚してくれ!」とオファーがかかります。
勉強できるって当時としては将来有望だったので、引っ張りだこだったんでしょう。
でも、新井白石は「学問に集中したい」という理由でこれらの誘いを断ってきました。
木下順庵に門下入り
勉強好きの新井白石は、30歳にして朱子学者である木下順庵という学者の門下生になります。この順庵先生からは高名な学者が数多く輩出されているので、非常に名誉あること。
しかも、なんとそれまで独学!
僕らからしたら学校行かずに自分で本を買って勉強して、30歳で名門大学に行くようなものでしょうか。
しかも、その後、木下順庵の一番弟子になるくらい、頭角を現したそうです。
すごい!
3歳で儒学の本を書き写したという話も現実味がありそうですね。。。笑
徳川家に仕える【正徳の治の実施】
6代目将軍の徳川家宣に、迎えられ、役職を与えられます。
そこで、政治にも関わってくるようになり、『正徳の治』という政治を行っていきました。
この政治では、様々な政策がなされましたが、代表的なのを2つご紹介します。
5代目将軍の徳川綱吉が発令していた『生類憐みの令』という「生き物殺しちゃダメよー」政策を取り消します。
また、貨幣に含まれる金銀の含有量を増やすという「貨幣改鋳」も行いました。
当時は、貨幣の流通量を上げるために貨幣に混ざっている金銀の量を少なくして価値を下げていました。
お金を取り扱う勘定奉行という役職にいた荻野重秀という人物がそれを実施していたのですが、物価高騰のインフレを引き起こしてり「それじゃダメだ!」と「貨幣改鋳」を行ったのです。実際に、金銀の含有量を増やすことでデフレを引き起こしました。
また、新井白石はこの荻野重秀という人を「極悪人だ!」とののしり、徳川家宣に、「荻野を勘定奉行から辞めさせなければ俺が殺す!」とまで言ったそうです。
困った家宣は、荻野重秀を罷免してしまいます。
いやいや白石さんやりすぎじゃね?
さすが「火の子」というあだ名がついたくらいの荒くれ者ですね。。
家宣の後の徳川家継のときも仕えていましたが、8代目将軍の徳川吉宗のときには失脚させられてしまいます。
新井白石は非常に現実主義者で、自分の目で見たものや正しいと思ったことを曲げない人だったので、疎ましくも思われていたのです。
「鬼」と恐れられていた新井白石は8代目将軍の吉宗からは嫌われてしまい、辞めさせられてしまいます。
引退後も勉強や執筆活動を続けており、「折りたく柴の記」という自伝を書いたり、密航で捕まっていたキリスト教徒に尋問して聞いたことを書き記した「西洋紀文」など多くの著書を残します。
新井白石は1725年に69歳で亡くなります。
死ぬ1週間前まで執筆活動をしていたそうです。
勉強において大切なこと
めちゃくちゃ頭もよく、下級武士という身分から、徳川家に仕えるまでに大出世した新井白石からは「勉強において大切なこと」が学べます。
それは、際限なく学ぶことです。
30歳まで独学で学んだ新井白石は、その後、分野関係なく朱子学、政治学、歴史学、文学などを学び続けました。
また、引退後も勉強を続け、数々の著者を残している。
新井白石は、リアリストで現実にあるものしか信じないので、キリスト教も信じていなかったでしょう。
キリスト教徒のシドッチという人への尋問により書かれた『西洋紀文』という本も、キリスト教は信じていなかったけど、西洋の学問や文化には感銘を受け、キリスト教信者から学んでいたのです。
自分に限界を定めず『生涯勉強』を貫き、そして自分の毛嫌いするような人からも学べることは学んで吸収していたからこそ、後世に名を残すまでになったんでしょう。
僕も勉強する事が大好きですが、自分の好きな分野ばかりではなく、知らない分野にも幅広く手を付けていきたいと思いました!
誰からも学ぶ姿勢を持っていた新井白石先生には脱帽です。
新井白石から学べる教訓
新井白石からは「勉強において大切なこと」が学べます。
それは自分に限界を定めず、学べる人からは苦手な人だろうと誰からも学ぶ。
そういう姿勢で学んでこそ、知識や経験が増えていくのでしょう。
だからこそ、若いころから「うちにこい!」と引っ張りだこで、幕府にも重宝されるまで成長したのでしょう。
生涯勉強の姿勢を崩さず僕も精進していこうと思いました!
新井白石のことをもっと知りたく、「折りたく柴の記」をポチりました(^^♪
興味ある方はぜひ!
最後までお読みいただきありがとうございました!
ではまた。
ざす。