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日本史から学べる教訓 vol.25西郷隆盛【必要とされる人になるための条件】


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ども!

ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

歴史は繰り返すと言われます。

歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。

今回は『敬天愛人』という言葉でも有名な「西郷隆盛」です!

 

西郷隆盛は、権力や利益などにとらわれず、こよなく人を愛した人物。

西郷隆盛の信念からは「必要とされる人になるための条件」が学べます。

 

西郷隆盛はどんな人だったのか?! 歴史を楽しく学べて現代に活かせることを、わかりやすく簡単な表現で書きました(^^♪

 

 

 

(約5分で読めます) 

 

西郷隆盛ってどんな人?

西郷隆盛

 

西郷隆盛は、1827年に現在の鹿児島県である薩摩藩で生まれました。

幕末の武士として知らない人はいないでしょう。

 

彼がどんな人で、どういうことを行ってきたのかをざっくり解説します!

 

 

苦しい幼少時代

彼は武士でも下級武士の生まれで、非常に貧しい家庭で育ちました。

11人家族という大所帯で、7人兄弟の長男でした。

 

若いころの仕事も、農村の実情を調査して年貢を納めるという藩の仕事に従事していました。

 

そんな仕事を10年も続けていましたが、その仕事ぶりから、当時の薩摩藩の藩主島津斉彬の目に留まり、江戸への参勤交代についていくことになったのです!

 

参勤交代とは・・・

全国各藩のリーダーである藩主が、藩の主要人物を連れて年に1回江戸の将軍のもとへ勤める(行く)行為です。幕府に逆らえないようにするため、この大移動でお金を使わせたりして各藩が勢力を拡大しないようにするのが目的。

 

 

 

25歳のときには、結婚しますが、同じ年に父親と母親を亡くしてしまいます。

兄弟も多く、若くして一家の大黒柱となったのです。

江戸に入った西郷隆盛は重要な仕事も任され、藩へ貢献しました。

 

しかし、自分の育ての親でもある島津斉彬が死去してしまいます。

ショックを受けた西郷隆盛は自殺未遂までしてしまいます。

 

一命をとりとめるも、そこからも悲劇が待ち受けていました。

島津斉彬の父親の島津久光とは対立してしまい、島流しにあってしまうのです。

 

鹿児島からかなり離れた沖永良部島というところに流されます。

 

鹿児島からは遠く離れ、ほぼ沖縄ですね・・・・

 

しかも島では3.5m四方の小さな牢屋に入れられ、風呂に入らせず、ご飯も麦飯と塩のみ。

そのご飯すらほとんど食べずにただただ時が過ぎるのを待ったといいます。

西郷隆盛と牢屋

沖永良部島にはやせ細った西郷隆盛と牢屋の復元されたものがあります(画像はhttp://ritou-navi.com/2015/10/27/keiten/参照)

 

2か月間この牢屋にいたそうです。果たして、西郷隆盛は、離島でひとりただただ過ぎる日々をどう思って過ごしていたのでしょうか。

 

こんな言葉を残しています。

辛酸骨に透って、我が真を看る

(しんさんほねにとおって、わがしんをみる

 

人間は、辛酸(辛い経験)を経験することによって、確固たる意志を見出すことができるという意味。

この辛い経験があったからこそ、西郷隆盛は人望厚く人を愛し、今でも愛される人になれたのではないでしょうか。

 

 

 

そして、彼の一番有名な言葉「敬天愛人」が生まれます。

 

信念を作った本との出会い

与えられたご飯も食べず、命乞いもせず、ただただじっと過ごすだけの西郷隆盛の確固たる意志をみて、島の役人の土持正照という人が西郷隆盛を解放し、普通の家に住まわせたのです。

 

そのときに西郷隆盛は勉強するため、本を読み漁りました。

その冊数なんと、1,300冊と言われています!!

その中で、中国の本を読んでいたとき、西郷隆盛の信念でもある「敬天愛人」という言葉と出会います。

 

「天を敬い、人を愛する」

 

まさに、牢獄での生活を過ごしていた西郷隆盛にとても響いたんでしょう。

過酷な生活を強いられるも、西郷隆盛は決して誰かを恨んだりせず、ただただ人のため、薩摩藩のために尽力していきます。

 

明治維新の立役者

その後、薩摩藩に帰郷した西郷隆盛は1864年38歳のときに『禁門の変』という出来事で薩摩藩の指揮をとります。

 

禁門の変とは・・・

ペリー来航により、尊王攘夷(天皇を敬い外国は打ち払え!)と公武合体(天皇と幕府が協力して国を立て直そう!)という考えが真っ二つに分かれました。

尊王攘夷派の長州藩(山口県)と公武合体派の幕府・新選組・会津藩(福島県)との京都での争いを『禁門の変』といいます。西郷隆盛率いる薩摩藩は会津藩の仲間になって長州藩と戦いました。

 

 

さらに1866年には坂本龍馬の仲介のもと、犬猿の仲の長州藩と『薩長同盟』も締結し、『禁門の変』では幕府側でしたが、倒幕への動きを進めていきます。

 

1868年には『鳥羽伏見の戦い』という幕府との闘いで死者を出さずに江戸城を攻め落とした江戸無血開城を成し遂げます。

 

江戸無血開城には、西郷隆盛の『敬天愛人』の信念が現れていますね。

西郷隆盛は争いを好まず、故郷でゆっくりと暮らしたいと常々思っていました。

 

戦争をしても、なるべく人を殺したくないと考えていた西郷隆盛は、江戸城に迫ったときも幕府側の勝海舟と会談し、誰も血を流さずに江戸城を明け渡すことを見事説得させます。

 

敵である勝海舟も「あれは西郷隆盛だからできたこと。彼が誠意ある人だったからだ」という言葉を残しているようです。

 

そして、『鳥羽伏見の戦い』の同年の1868年に明治政府が誕生しました。

 

西郷隆盛は、若いころは大変厳しい生活をしていましたが、確固たる信念を持ち、その人望の厚さから大活躍し、明治維新の立役者となったのです!

 

 

『敬天愛人』

運命や欲望などもすべて天に任せ、人を恨まず愛する。

この懐の大きさが「必要とされる人になるための条件」なのです。

 

 

必要とされる人になるための条件

西郷隆盛


 

西郷隆盛は、権力や地位に興味がなく、明治維新の立役者でありつつも、役目を終えたら薩摩藩に帰りました。

 

そこで、将来を担う子どもたちのために私学校を設立して教育をしていたのです。

 

しかし、当時の明治政府は「俺のおかげだ!俺に役職をよこせ!」みたいな権力にまみれた人ばかりだったのでなかなか政治がうまくいきません。

 

そのときにも、「やはり西郷さんしかいない!」と呼び戻されたのです。

しかし、召集されるも権力にまみれた政府に嫌気がさし、やはり辞めてしまいます。

 

当時、政府を仕切っていたのは、大久保利通、岩倉具視、伊藤博文らでしたが、西郷隆盛のこのような性格を疎ましく思っていました。

 

「西郷隆盛が勢力を持って政府に反対したら厄介だな、、」

そう思った明治政府は、鹿児島にスパイを送り込みます。

そして、「西郷隆盛を暗殺する!」という噂をわざと流したのです。

 

そこで、西郷隆盛の私学校で学んでいた生徒たちが、「ふざけんじゃねぇ!!西郷さんを!権力の犬どもめ!俺らがぶっ潰してやる!!(イメージ)」と血気盛んに喧嘩を売ってしまったのです。

 

明治政府の思うツボで、西郷隆盛を潰すいい口実ができました。

争いの嫌いな西郷隆盛は、常日頃学生たちにも「私情や欲望で戦ってはいけない」と説いていましたが、それも虚しく戦は始まってしまいました。

 

ちなみに、学生たちが政府の挑発に乗ってしまったとき、西郷隆盛は狩りに出かけて留守をしていたようです。そこを狙っていたかのよう。

西郷隆盛も「しまった!!!」と叫んだと言われています。

 

もう喧嘩を売ってしまってはやるしかない。

西郷隆盛が軍を率いて明治政府と戦う西南戦争に突入します。

 

 

巨大な明治政府には勝ち目はない。

健闘も虚しく、西郷隆盛は、仲間に自分の首を切らせ自害します。

 

西郷隆盛は、西南戦争を始める前からもう死ぬ覚悟だったんじゃないかなと僕は思いました。争いの嫌いな西郷隆盛は、「戦争なんてするもんじゃない」というのを自分の死をもって伝えたかったのかなと。

 

西郷隆盛の願いも叶ってか、西南戦争は日本最後の内戦となりました。

 

最後は非常に残念な死を遂げましたが、私利私欲のない彼の「敬天愛人」という信念から、明治政府からも引っ張りだこでした。

そして勝海舟からも「彼だからこそ江戸無血開城が出来た。」と言わしめました。

 

人から必要とされる条件は、自分に起こることは全てを受け入れて天に任せ、人を咎めず愛することだということが学べます。

 

 

 

西郷隆盛から学べる教訓 

教訓,勉強,学び

西郷隆盛から学べる教訓は「人から必要とされる条件は、全てを受け入れ人を咎めずに愛すること」です。

 

私利私欲にまみれず、自分の境遇をすべて受け入れ人を愛するような人に、皆魅了されます。

 

今でも西郷隆盛が人気なのがわかりますね!

 

人から必要とされるために、西郷隆盛の信念を僕も大切にしたいと思いました!

 

西郷隆盛の生涯を知りたい人は書籍もたくさん出ています(^^♪

 

 

 

歴史小説作家の池波正太郎さんの本や、マンガで読めるのもありますのでぜひ(^^♪

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

ではまた。

ざす。