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【10分で学ぶ!】三国志の魅力と現代でも活かせる教訓【オススメ本も紹介】


Hatena

ブログタイトル「10分で学ぶ!三国志の魅力」


 

ども!

 

ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

僕は大の歴史好きなのですが、特に好きなのが三国志!!

 

中国の中でも有名な戦国時代でもあり、好きな方も多いと思います。

 

僕は歴史の中でも日本史がとても好きです。

世界史は苦手ですが。笑

 

ただ、世界史苦手な僕でも、三国志だけはめちゃくちゃ好きなんですよね。

 

歴史が苦手な人でも惹きつける魅力があると思っています。

ただの暗記ではなく数々のドラマ、ストーリーがあるので感情移入してスッと入ってくるのです!

 

今回は、そんな三国志の魅力をお伝えします。

面白いだけじゃなく、現代に活かせる教訓もあります(u_u)

 

 

 

(約10分で読めます)

 

 

三国志とは?

三国の地図

(参照:三国志 | ガットバスター&コンクリートWEBショップ

 

 

まず、三国志を全く知らない人のために三国志とはなんぞや?というのを書きます。

 

後漢という中国の国(25年〜220年)がありました。

その後漢が滅亡してから220年〜280年の60年間を三国時代と言います。

 

後漢の皇帝だった献帝という人が、魏という国の曹丕へ皇帝の位を譲ったのが220年。

 

それで後漢の時代が終わり、魏の国の曹丕が皇帝になったタイミングで三国時代と呼ばれているんです。

 

魏の曹丕という人は、自分が帝位を譲り受けたから「これからの中国は魏のものだ!」と主張しました。

 

ただ、当時は3つの国が覇権を争っている真っ只中だったので、ほかの2つの国が「おいおいちょっと待て!そんなん認めないぞ!!」と主張して中国は3つの国に分かれたのです。

 

それが魏・蜀・呉の三国の時代です。

 

三国志はその多彩な武将や、さまざまなストーリーから、小説になったり舞台になったりもしています。

 

中国の明王朝(14世紀〜17世紀)の時代には有名な『三国志演義』という時代小説が書かれました。

 

現在でも残っているドラマや小説、ゲームなどは大体この『三国志演義』をもとにしていると言われています。

 

この『三国志演義』は、少し脚色が加えられていて、史実と異なる部分があります。

 

ま、端的に言うと、「ちょっと話を盛ってる」ということです。笑

小説ですからね。。

 

 

220年から三国時代と言いましたが、僕は個人的にそれよりも前の時代がめちゃくちゃ面白いと思います。

 

魏の曹操、蜀の劉備、呉の孫権というとても優秀なリーダーをもとに後漢という国が権力をなくしていくところ、覇権争いを繰り広げるんです。

※先ほどの曹丕という人物は、曹操の息子です。

 

曹操や劉備、孫権が活躍するのは200年前後で、その時代は本当にどの国も同じくらいの強さでバチバチにぶつかり合っていたのでここらへんが面白いのです。

 

時にはこの三国のうち二国が同盟を組んだり、はたまた裏切って騙しあったり、とそのストーリーがワクワクしっぱなし!!

 

今回は歴史や出来事ではなく、三国志のどんなところが面白いのか?という魅力について書いていきたいと思います。 

 

 

 

三国志の魅力

武将



 

①夢を叶えるために奔走する姿に共感する

 

魏も蜀も呉も、それぞれに「国を良くしたい」という思いで立ち上がります。

 

もちろん「天下を自分のものにしたい」という野心もあったでしょう。

 

 

三国それぞれに事情があり、各々の想いがあります。

 

夢を追いかけるというのは現代でも変わりませんよね。

 

そんな夢を追いかける姿に共感するのです。感動するのです。

 

人によっては、魏の国に共鳴したり、人によっては蜀、はたまた呉かもしれません。

 

僕は曹操が好きなので、魏の大ファンです。笑

 

 

感情移入して応援したくなります。

 

 

②多彩なキャラクターがたくさんいて好きな武将が見つかる

 

もうひとつの魅力は、多彩なキャラクターの武将がいること。

 

個性が強い武将がたくさんいるのです。

 

おそらく三国志が人気なのは、ここが一番の理由ではないでしょうか。

 

蜀のリーダーである劉備は、その人柄が人気です。

徳のある優しい人で人望が非常に厚い。

多くの武将がこの劉備を慕ってついていきます。

 

魏のリーダーの曹操は知的で非常に頭の切れる人です。

血筋も超エリート。三国志演義では、冷酷で非道な感じで描かれていますが、真実はどうかわかりません。

ドラゴンボールでいうと、ベジータに非常に似ています。笑

 

クールで、プライドが高いエリートで、実力がある。

 

僕はそんな曹操が大好きなのです。

 

呉の孫権は外交もうまく、戦略家で三国のリーダーの中では一番バランスがとれていました。孫氏の兵法で有名な孫氏(孫武)の子孫であるという説もあります。

 

 

リーダーだけでもここまでハッキリ性格が分かれているのに、それに付いていく武将もこれまた多彩!

 

 

劉備の義兄弟である関羽、張飛という武将も非常に人気です。

関羽は、そんな中でも三国志上、一番の人気ではないかと思います。

関羽像

※国立博物館でやっていた「三国志展」で撮った「関羽像」です!!

 

 

関羽は武力にも長けており、頭も切れる。そして忠誠心が非常に高いパーフェクトな人なのです。

 

赤兎馬というめちゃくちゃ足の速い馬にも乗っていました。

赤兎馬という焼酎がありますが、これもこの三国志の中の馬が由来です。

 

赤兎馬は1日に千里走ると言われていました。

1里が4kmなので、約4,000km。

札幌~福岡を1日で往復するくらいの距離です。笑

 

ま、これも三国志演義の話なので、盛られているかもしれません。笑

 

関羽は武力にも長け、とびっきり優秀な馬にも乗っていたのです。

魏の曹操も仲間に欲したくらいの武将でした。

曹操が、関羽を捕らえ、自分の味方になるよう誘いましたが、劉備への忠誠心は曲げずに決して仲間になることはありませんでした。

 

 

そして、張飛は、武力は関羽にも勝ると言われていましたが、頭があまり良くない。笑

 

感情的ですぐカッカして相手の罠にも引っ掛かりやすい性格です。

 

義兄弟の誓いを交わした劉備と関羽の弟になります。

 

 

そのほかにも、劉備の生まれたばかりの息子を護るため、腕に抱えたまま、敵軍に突っ込む趙雲という忠誠心の高い勇猛な武将も蜀にはいました。

 

彼ら3人を含む『五虎大将軍』と呼ばれる超優秀な5人の武将が蜀にはいたのです。

(関羽・張飛・趙雲・馬超・黄忠)

 

 

他にも三国志を知らなくてもその名前を聞いたことがあるであろう諸葛亮という軍師が蜀にはいます。

 

非常に頭の良い軍師で、魏や呉の中でも頭の切れる軍師は多くいましたが、その1枚も2枚も上手な軍師だったのです。

 

呉の周瑜という非常に頭の良い武将がいましたが、彼も死に際、

「どうして天は周瑜と同じ時代に諸葛亮を生んだのだ」と後悔の念を漏らしたと言われています。

 

 

また、魏には司馬懿という非常に優れた軍師・政治家がいました。

 

蜀の諸葛亮と魏の司馬懿との闘いで有名な『五丈原の戦い』というのがあります。

 

司馬懿もめちゃくちゃ頭が良く魏の皇帝であった曹丕に重宝されていたのですが、それでも、諸葛亮には敵わなかったと言います。(史実では一度も諸葛亮に勝ったという事実は残されていません)

 

この『五丈原の戦い』の最中に諸葛亮は病死してしまうんです。

そのため、蜀が撤退しようとします。

 

スパイからこの情報を聞き取った司馬懿は、蜀を追撃をしました。

「諸葛亮なき、蜀なんて敵ではない!!」(イメージです

 

しかし、なんとそのとき、崖の上から車いすに乗った諸葛亮の姿があったのです!!

 

「どういうことーーー?!!」と司馬懿は慌てます。 

 

「諸葛亮が死んだ」というのも嘘で罠だったんだと思い、退散します。

 

しかし、諸葛亮の死は真実で、死後、魏の軍に襲われないよう、これも諸葛亮が指示した策略だったのです。

 

死体となった諸葛亮は死んでもなお、司馬懿を追い返すことに成功します。

 

司馬懿はプライドもズタズタだったでしょう。

この事件から「死せる孔明生ける仲達を走らす」ということわざが生まれました。

 

孔明というのは諸葛亮のことで、仲達というのは司馬懿のこと。

 

「生前、威光を放っていた者は、死んでもなお、影響を与える」という意味です。

 

ちなみに、諸葛亮が死んだ5年後に邪馬台国の卑弥呼は、魏から「親魏倭王」の称号を与えられています。

 

時代がどれくらい前かわかりますよね。

 

まだ日本が稲作とかしていた時代に、中国では馬に乗って城を築いて、弓を引いて戦っていたんです。

中国がどれだけ進んでいたかわかります。

 

 

 

蜀を中心に書きましたが、このように三国志にはものすごいドラマがあるのです。

 

最終的には、この司馬懿を中心に蜀も呉も滅ぼし、『晋』という国を建てて三国時代が終わるので魏の勝利となるのですが、三国志演義では、人望の厚かった劉備率いる蜀がヒーローで、魏は悪者っぽく描かれています。

 

どのストーリーも、史実と少し離れているものもあるかもしれませんが、ここには描ききれないほどの武将とそれにまつわるストーリーがあります。

 

三国志は読んでいくと、必ず自分の好きな武将、考え方や生き方に共感する武将が見つかるハズです!

 

 

③現代でも活かせる教訓がある

3つ目は現代でも活かせる教訓があるということ。

 

例えば、『三顧の礼』というのがあります。

 

これは、蜀のリーダーである劉備が、田舎にひっそりと住んでいた諸葛亮を自分の味方に誘ったときの手法を表します。

 

三顧とは「三度尋ねる」という意味です。

 

1度、諸葛亮の自宅を訪問し、誘ったときは断られました。

諦めず、2度目も訪問。それでも諸葛亮は首を縦に振らない。

「権力や国の闘争には興味がない。」と断り続けます。

 

そして、三度目の訪問の際、この劉備の行動に、「名もない自分のためにここまでしてくれる人はいないかもしれない」と感激し、劉備についていくことを決めました。

 

このように目下の相手であろうと、頼み事をするときは、誠心誠意、礼を尽くすべきというのがこの『三顧の礼』です。

 

これは現代のビジネス社会でも役に立ちますよね。

 

 

また、「泣いて馬謖を斬る」という話も有名です。

 

諸葛亮には、馬謖という優秀な部下がいました。

 

ゆくゆくは諸葛亮の跡を継ぐほどの頭の良さを兼ね備えた人物でした。

 

しかし、ちょっとした驕りから、諸葛亮の命令に背いて自分で判断を下して戦に負けてしまったことがありました。

 

馬謖の勝手な判断で、味方にも死者を多く出してしまい、蜀を不利な状況に陥れたため、諸葛亮はこの馬謖を処刑します。

 

周りの人たちは、馬謖は超有望な人だったので、「今回は許してあげたらどうか」と助言しますが、諸葛亮は「いくら優秀といえど、それでは、軍に示しがつかない」と泣きながら馬謖を斬ります。

 

馬謖の優秀さは諸葛亮が一番理解していました。

それでも私情を挟まずに、組織の為、国の為を思い、処刑したのです。

 

 

このことから、「組織の判断では私的感情を挟んではいけない」という教訓が学べます。

 

 

三国志に限りませんが、歴史を学ぶということは、こうした現代でも活かせる教訓を学べるので非常に大切ですよね。

 

 

三国志を一から学びたい人にオススメの本

本

 

ほんの一部分をご紹介しただけですが、それでもこれだけの量になってしまいました(汗)

 

少しでも興味を持ってもらえたら、こんなに幸せなことはないです(笑)

 

 

三国志を一から学びたい人には、こちらのマンガがオススメです!

 

 

 

三国志と言えば、横山光輝先生のマンガですね!

 

鉄人28号や、魔法使いサリーの作者です。

 

 

僕もこの文庫版のマンガで全部学びました!

 

 

とても面白いのでオススメですよ!

 

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

ではまた。

ざす。