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日本史から学べる教訓 vol.10 源義経【人から好かれる方法。悲運を味方につけよ】


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ども!

 

ド底辺サラリーマンのけんいちです!

 

 

歴史は繰り返すと言われます。
歴史上の人物のストーリーを聞くと現代でも役に立つエッセンスがたくさん詰まっているんです!

 

日本史の偉人から学べる教訓シリーズ。
今回は「源義経」です!

 

 

源義経とはどんな人だったのか?!

歴史を楽しく学べて現代に活かせることを書きました(^^♪

 

義経は、大河ドラマになっていたり、今でも人気の英雄ですね!

 

なぜ人気なのかを紐解いていくと、人から好かれる理由がわかります。

 

それは心理学でもあるのです。

 

 

 

(約5分で読めます。) 

 

源義経とはどんな人?

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①幼少期は不遇だった

 

源義経は、平氏と源氏の戦いの『平治の乱』があった1159年に生まれたとされます。

 

幼少期は牛若丸という名でした。

 

 

平治の乱で平清盛に源氏が討たれると、牛若丸のお父さんの義朝は殺害されてしまいます。

 

平清盛についてはコチラの記事を!

 

 

www.kkenichi.com

 

 

 

そして、命からがらお母さんと兄弟と逃げます。

 

このとき、牛若丸の兄であり、後に鎌倉幕府を開く頼朝は伊豆に島流しにあっていたので、別行動でした。

 

牛若丸は、お母さんと逃げていましたが、母親ももう逃げ切れないと悟り、平清盛に自首をします。

 

殺されるかと思いきや、「出家すれば息子たちは助けてやる」という風に言われ、牛若丸も出家します。

 

牛若丸11歳のときでした。

 

しかし、僧になることを拒んだ牛若丸はしばらくしてからお寺を出て、成人してから「義経」と名乗るようになりました。

 

このように、源氏敗戦の年に生まれた源義経の幼少期は不遇なものでした。

 

 

②武力に長けていた

 

源義経は非常に武力に長けていました。

 

めちゃくちゃ強かったそうです。

 

有名な家臣で、武蔵坊弁慶がいますよね。

 

義経は「衣川の戦い」という戦いで自害して死んでしまいますが、そのときに源義経を守るため立ったまま矢を身体中に受けて、義経を守ったという逸話があります。

 

また、すねを「弁慶の泣きどころ」って言いますよね。

 

これも「弁慶すらも泣いてしまうほどすねは急所だ」という意味で弁慶の強さを表しています。

 

そんな弁慶が負けた相手が源義経。

 

負けたことで、義経の家臣となりました。

 

また、一ノ谷の戦い・屋島の戦い・壇ノ浦の戦いという3つの戦いで義経が指揮をして勝利を重ねました。

 

この戦は、兵力だけではなく、作戦が功を奏したり、策略についても右に出るものはなかったようです。

 

壇ノ浦の戦いでは、ライバルだった平氏を滅ぼして、鎌倉幕府の成立に貢献しました。

 

 

しかし、源義経は源頼朝の家臣と不仲になったり、勝利した際の報酬を独り占めしてるんじゃないかという話が出たり、頼朝とはどんどん仲が悪くなっていってしまったのです。

 

 

③兄・頼朝との決別

 

頼朝と不仲になり、鎌倉入りを許してもらえなかったりしました。

 

頼朝は、義経が権力を持つことを恐れていたんではないでしょうか。

 

ただ、頼朝は義経にチャンスを与えるために敵の討伐を命じますが、

 

「今、病気なんで無理っす〜〜」

 

と義経は断ったのです(笑)

 

 

将軍の命を断るなんて、言語道断。

 

 

ブチ切れた頼朝は義経を殺すことを決めました。

 

 

当時、義経は東北の奥州藤原氏に出入りしていました。

 

藤原氏に庇ってもらってましたが、藤原氏最後の当主の藤原泰衡も当時の源頼朝には逆らえず、義経を裏切りました。

 

そこで、義経は自害をしてしまったのです。

 

 

31歳でした。

若いですね。

 

平氏討伐の立役者だった義経も、出世競争のため、兄の頼朝に討たれてしまう。

 

このように義経は悲劇のヒーローだったので現在でも英雄扱いされています。

 

 

 

 

 

悲運な人は周りから好かれる?!

 

落ち込む。悲しい。悲運。

 

悲劇のヒーローだった源義経は、なぜ英雄視されているかについて。

 

「判官贔屓」という言葉を聞いたこととありますでしょうか。

 

これは、源義経が語源になった慣用句です。

 

『弱い立場や悲運なエピソードがある人は、その人がしたことに関係なく、周りの人は同情して味方になりやすい』

 

という心理現象のことです。

 

源義経は、頼朝に許可も得ずに褒美をもらったり、仮病によって命令を無視したりしていました。

 

 

普通にダメですよね?笑

 

頼朝が怒るのは当たり前。

言ってしまえば、義経が狙われるのは自業自得だったんです。

 

 

「源氏のために貢献したのに兄弟に殺されそうになり自害した」という悲運により、判官贔屓という心理現象が働いたので、義経は頼朝よりも人気が出たのではないでしょうか。

 

 

このように、人は悲運な人にほど心を動かされます。

 

 

別に義経は後世の人気を狙っていたわけではないでしょうが(笑)、人から好かれるためには悲運なエピソードもあるといいんですよね。

 

高校野球でも、名門中学の選手の寄せ集めの高校より、地元の生え抜きの選手ががんばっている方が応援されやすくなります。

 

 

弱い立場というのは、人から支持されるのに利用できるのです。

 

 

人から支持されるために、あえて自分の弱い立場や失敗、悲運なことは公表してみるといいです。

 

自分の失敗や弱みをさらけ出すのは辛いですが、応援してくれる人を増やすのに「判官贔屓」を活用してみてはいかがでしょうか。

 

 

 

 

 

源義経から学べる教訓

学び。ノート。教え。教訓。


 

僕も頼朝よりも義経の方が好きでした。

 

強かったということに憧れていたりもしましたが、今考えると判官贔屓も働いていたなぁと思います。

 

「鎌倉幕府の成立に貢献するような働きをしたのに出世競争の中、兄の頼朝に殺されてしまった可哀想な人」という印象でいました。

 

でも、調べていくうちに頼朝が怒るのも、もっともだし、自業自得の部分が多いなと感じました。

 

義経の行為自体は、見習うべきではないかもしれませんが、彼が語源である「判官贔屓」は悲運を味方につけ応援してくれる人を増やすために非常に役に立つものです。

 

 

自分のミスや弱みはさらけ出していいんです!

 

僕も意識しようと思いました。

 

 

最後までお読みいただきありがとうございました!

 

 

ではまた。

ざす。