ド底辺サラリーマンの夢の叶え方

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ド底辺のサラリーマンの僕が「大自然を通して人を豊かにする」という夢を叶える為、奔走中。会社員しながらでもできる自己啓発中心に書いてます。

現代人は偉人から学べ! Vol.1 ~野口英世~

ども、こんばんは!

 

 

ド底辺サラリーマンのけんいちです。

 

 

 

先日、福島にひとり旅に行ってきました!

 

 

 

元々好きなバンドのライブが福島であったので行ったのですが、せっかくだから昼間も観光しようと、猪苗代湖にも遊びに行きました。

 

 

 

自然がキレイで癒されたのですが、ふらっと立ち寄った「野口英世記念館」がとてもよかったんです!

 

 

 

野口英世は福島県の猪苗代町出身ですからね。

 

 

 

 

元々日本史が好きなのですが、今回野口英世の志や名言、経歴を知り、非常に刺激になりました。

 

 

 

 

偉人の志などを知ることは、自分の糧になるという点で読書に非常に似ていると僕は思います。

 

 

 

 

読書も成功者などの知識を学ぶことができますしね。

 

 

 

 

なので、現代人にも非常に役立つ、偉人の志、活動、名言をご紹介したいと思います!

 

 

目次

 

 

 

 

 

 

野口英世とはどんな人?

まずは野口英世がどんな人でどういう生涯だったかをざっくりご紹介します。

 

野口英世は1000円札の肖像画にもなっていて知らない人はいない偉人だと思います。

ただ、僕の中では「細菌学者で黄熱病を研究した人」くらいの認識しかありませんでした。(...すみません)

 

 

野口英世は1876年11月9日、現在の福島県猪苗代町に生まれました。

 

名前は清作(せいさく)だったのですが、後々、読んだ小説で、野々口精作という人が不運な運命を辿るというストーリーがあり、縁起が悪いということで清作という名前が嫌になり、当時尊敬していた先生から「英世」という名前を授かり、20代のころに改名したそうです。

 

 

 

 

 

そして、野口英世の運命を変える事故が、1歳半のときの大火傷です。

 

 

 

母親が少し目を離したすきに家の中の囲炉裏に落ちて左手に大火傷を負い、指が全部くっついてしまうという事故にあいました。

 

 

 

しかし、周りの支えや募金なども集まり、手術を受けることができ、なんとか左手も使えるようになりました。

 

 

 

これをキッカケに医者を目指すことを決意したそうです。

 

 

 

野口英世は学生時代も猛勉強をして、20歳の時に医学免許を取得する為、上京。

 

 

このとき、地元の周りの方からは「医者なんか無理だ」とも言われていたり、多くの人に反対もされていたそうです。

 

 

 

 

しかし、当時、取得に10年はかかるだろうと言われていた医学試験をなんと1年で合格することが出来ました!

 

 

凄い!!

 

 

寝る間も惜しんで勉強に励んだそうです。

 

 

 

そして伝染病の助手を経て、蛇毒の研究の成果などを認められ、海外に渡ってロックフェラー医学研究所の一等助手になったりもしました。梅毒の研究などでは3度のノーベル賞候補になったり世界中で講演依頼があったりと世界的に有名人になりました。(この時英世は30代後半くらい)

 

黄熱病で有名だったというより、この梅毒の研究結果で一躍世界の人になったんですね!

 

 

 

 

 

その後、黄熱病の研究にも携わり、その原因を探る為、当時黄熱病が流行っていたアフリカに渡ります。

 

 

 

 

 

しかし、研究中、英世も黄熱病にかかってしまい、51歳という若さで亡くなってしまいました。

 

 

 

 

 

野口英世は、原因不明の病気の研究をして、最期まで世界中の人を救おうと奔走した人だったんですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

野口英世のココがすごい!野口英世から学びたい3つのこと

 

 

・逆境を受け入れ努力をすること

野口英世は寝る間も惜しんで研究していたことで、海外の研究者の同僚たちには「英世はいつ寝ているかわからないからヒューマンダイナモ(人間発電機)みたいだ」と言われていたそうです。

 

 

野口英世はそんな努力家だったので、「天才」と言われるのが嫌だったそうです。

 

 

自分が人より努力しているという自負があるから素晴らしい研究結果を「才能」の一言で片づけられたくなかったんですね。

 

 

こんなことも言ってます。

 

「努力だ。勉強だ。それが天才だ。誰よりも3倍、4倍、5倍勉強する者、それが天才だ」

 

 

強い信念を持って努力を続ける事の大切さが身に沁みます!

 

 

また、実家が貧しく、更に幼少期に大火傷を負ってハンディキャップがあったにも関わらず、前向きに勉学に励み世界中で評される人になることが出来たのがわかる言葉があります。

 

 

 

家が貧しくても、体が不自由でも、決して失望してはいけない。人の一生の幸も災いも、自分から作るもの。周りの人間も、周りの状況も、自分から作り出した影と知るべきである。

 

 

 

自分の置かれた環境は自分が作り出したもの。

 

 

 

それをすべて受け入れ、自分が何をやりたいのか、明確にして努力を続ける。

 

 

 

夢を叶える為に必要なことがこの言葉に凝縮されている気がしました!

 

 

 

 

 

 

・自分のやりたいことに突き進む

 

野口英世は「医学に携わりたい」と地元福島を出るとき周りに反対されて、応援されずに地元を離れましたが、医学試験に合格して、世界でも活躍したあと15年後に凱旋帰国した時は溢れんばかりの人が歓迎してくれたようです。

 

 

 

周りに反対されても自分のやりたいことを貫き、努力を続ければ周りはやがて認めてくれるようになる。

 

 

そんな大切なことを教えてくれるエピソードでした。

 

 

・「人の役に立つ」という幸せ

 

野口英世は黄熱病の研究の際、当時大流行していたアフリカに危険を顧みず向かいました。

 

 

当時の研究者の同僚が黄熱病の研究中に亡くなったのです。

 

 

それを受けて、周囲の反対を押し切ってアフリカに行ったそうです。

 

 

 

 

 

命を懸けて、人を救いたい。それが自分の使命だと考えていたんではないでしょうか。

 

 

 

 

人の役に立つということが自分にとってどんなに幸せなことか、野口英世は感じていたんじゃないかなぁと勝手に想像してます。(^^)

 

 

 

 

 まとめ

 

いかがでしたでしょうか。

 

 

野口英世は非常に努力家で、逆風も跳ねのけ自分のやりたいことに一生を捧げて多くの人を救った偉人です。

 

 

 

彼から学べる事は現代を生きる僕たちにも非常にタメになることばかりでした。

 

 

 

 

 

本当に野口英世記念館行ってよかった!!

 

 

 

 

まとめてみたかったので記事にしました。

 

 

 

 

 

 

もっといろんな偉人を調べて、役に立つことがあれば紹介したいと思います!

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

ではまた。

ざす。